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指導員ヒストリー

1999年10月生まれ

 2人の姉がいる末っ子。とっても泣き虫で、お母さんは一日中、抱っこかおんぶをしていたそうです。

1999年12月生まれ

 3人兄弟の末っ子で、いつも泣いてばかり。誰かが居ないと大泣きして騒いでいたそうです。

2人の共通点 末っ子・泣き虫
 ウルトラマンやスーパー戦隊、ドラゴンボールが大好きで ウルトラマンビームやシュワッチポーズがお気に入り。
 段々とやんちゃになり木登りなどをしていつも外で遊んでいる子どもで、怪我も沢山していました。

そんな2人は、幼稚園で出会います。
2人の共通点 門馬道場に入門

 親としては身も心も強くなってほしくて。
 本人は “かめはめ波”が撃てるようになりたくて。
 初めて師範を見た時、
 「かめはめ波、撃てるのかな?」と釘付けでした。

(母)

 最初は別の空手道場に見学に行きましたが、あまり興味を持たず体験もせず帰宅しましたが、同じ園の柊太君のお母さんから、母が門馬道場を勧められ見学に。挨拶・返事をする姿やしっかり整列する姿を見て、「かっこいい!」と思ったことを今でも覚えています。

 4歳上の姉が先に道場に通っていて、いつも付いて来ていました。自分もやりたいと騒いでいましたが、「日本語が理解出来るまで待ちなさい。」と我慢させていました。(笑)ファースト道着だけは捨てずに飾ってあります。

(母)

 自分は4歳の頃に入門したので記憶は少し曖昧ですが、楽しかったです。フラフラしすぎて、いつも先生に「正座してろ!」と言われた記憶があります。今でもよくその頃の事を言われる事があり、迷惑をかけていたのだなと思います。

小学校時代の思い出

2人の共通点 東日本大震災
道場で避難生活

 震災の時。傾いた家に駆け込み、落ちてしまった大切なトロフィーが壊れていない無事を確認して、「今日の稽古大丈夫?」と心配していました。
 地域体育館に柊太家と避難し、師範のご厚意で矢吹道場にお世話になり、その後柊太家に居候。大きな余震後に稽古に行って道場が閉まっていたこともありました。
 震災の不安な中道場が大きな支えであり、みんなに沢山助けて貰って今でも感謝しています。

(母)

 小学5年生の時、自宅が震災の影響で傾いてしまい、体育館で避難生活をしていました。
 そんな中、門馬師範が道場を解放してくださり、しばらくは道場に寝泊まりさせていただきました。門馬師範の奥様がカレーの差し入れをして下さり、とても感謝しています。

 空手は好きだけど落ち着きが無く、稽古の半分は正座しての見取り稽古だったと思います。
 震災の時は統河家と一緒に暮らしましたが、何の違和感も無かったです。常に一緒にいるのが当たり前になっていたのだと思います。兄弟以上の絆だと思いますし、統河がいなきゃ、今の柊太はいない…そのぐらい大きな存在ですね。

(母)

 東日本大震災。当時小学5年生でしたが、統河と我が家が被災し、一緒に体育館から矢吹道場へ避難。その後片付けた自分の自宅で統河と統河の家族と共に、何週間か過ごしました。統河との絆は、震災を経験してより一層深まりました。また「寒いだろう」と道場を開放してくれた師範のお陰で避難生活を乗り越えられました。

道場生活を終える時、師範や食料を届けてくれた方々へ感謝する子ども達

中学校時代

2人の共通点 夢は空手の先生
念願の黒帯取得

 みんなの成長に遅れてしまい、小さかったです。体格に引け目を抱き、大きな選手には顔面蒼白でした。負けても負けても試合に行かなくちゃ…と言う気持ちで歯を食いしばって我慢の時期。
 「挑戦はしたくないけれど、逃げる事は出来ない。」そんな風に見えました。
 3年生になり、やっと身長が伸びて来て視界が変わったのと、初の黒帯への挑戦の話をいただき夢へ近づくやる気スイッチが入った感じでした。

(母)

 中学生の時は周りと身長差ができ始め、組手で全く勝てませんでした。上級生や身体の大きな相手と戦うのが怖くて、組手の試合に出場することが嫌だった時期もありました。
 その周りとの差を少しでも埋めるために稽古は休まず参加していました。勉強や部活との両立は大変でしたが、とてもいい経験でした。

 強くなりたくてとにかく大会出場を続けていました。負けても負けても稽古に行く事だけはやめなかったです。部活のサッカーの他に陸上部とか合唱部とかかけ持ちしてましたが、全てやり切っていたと思います。勉強以外は……(苦笑い)
 空手以外のそれら全てが、試合で勝つ為に必要なトレーニングだったと感じてます。

(母)

 中学校の部活はサッカー部に入部していました。部活終わりにそのまま稽古に行き、とても忙しい生活でしたが凄く楽しかったです。
 中学3年生最後の中体連では、門馬師範が応援に来て下さいました。「空手だけを頑張れ!」ではなく、「空手も頑張れば他の事も頑張れる!」と自分が向き合う全てを応援してくれました。

 「空手の先生になりたい」と言う夢への第一歩として、中学校3年間は矢吹道場少年部の指導補助に入りました。その稽古日は部活を早く抜けて来ていたそうです。
 そしてどんな時も空手を優先させてくれた仲間たちへの最後の恩返しとして、空手の大会出場を見送りサッカーの練習を優先に。門馬師範は、それを承諾するだけではなく、最後の中体連のグラウンドを訪れ激励。2人もご家族も驚きと嬉しさで感謝していたそうです。

 中学校3年間、補助に入りながら指導の勉強を本格的にスタートし、3年生の2月に黒帯への昇段審査を受け、黒帯の道へ。

 そして高校の3年間は、大人の皆さんのサポートを受けながら、教室を受け持ち、前に立って指導員への道を歩き出しました。

高校時代

2人の共通点 教室開講を実現
世界大会へ出場

 黒帯になった責任感。
 負けられない意地
 でも勝てない…。
 
 超辛い居残り稽古が始まってヘットヘトでしたが、終わった後の頑張った誇らしそうな顔は印象的で、ウエイトの成果で身体も大きく変わりました。どんどん頼もしくなって、やっと大会でも結果が出始めました。
 入賞出来ずとも、「よく頑張った‼️」と言える戦い方に変わり、打身だらけの身体を見せ合い讃えあっていました。
 稽古を頑張れたのも、試合を頑張れたのも、仲間が居たからですね。
 また教室も始まり教える事の難しさと向き合い、改めて師範や先生方の偉大さを感じたようです。

(母)

 高校2年生の時に出場した世界大会が一番の思い出です。
 門馬師範が強化メニューを考えて下さり、稽古が終わったあと居残り稽古として仲間達と励みました。
 夜11時頃まで稽古していたので、次の日の学校はとても辛かったです(笑)
 型・組手共に入賞は出来ませんでしたが、試合までの努力は忘れられません。

 中学生から指導の補助にはいらせてもらい、高校ではクラスを持たせて頂けました。早いうちから指導力だけではなく社会人としての責任やコミュニケーション能力も養わせて頂けたと思っています。
 遊びも空手も全力で楽しんでいる我が子を羨ましく思う時もありました。

(母)

 高校生になり指導に入る事が多くなると親の送迎も難しくなりました。
 そんな時に門下生の保護者さんがいつも駅まで迎えに来てくれて、指導に入る自分におにぎりを作って食べさせてくれたり・・・と本当に感謝しています。
 大会前にはやはり保護者さんに必勝祈願で鹿嶋神社に連れて行ってもらったこともありました。沢山沢山お世話になりました。自分は周りの方々に支えられて成長し、今もここに立てていると思っています。
 また目標だった世界大会に出場し、高校生の部で準優勝になる事が出来ました。辛かった、怖かった、痛かった、でも楽しかった時間であり、仲間が居たからこそ頑張れました。

思い出の試合

 初めての全日本大会です。
 素手素足の試合だったので、もちろん恐怖もありました。
 ですがそれ以上に、ずっと憧れていた一般部の大きな舞台に立つことが出来て、嬉しかったことを覚えています。

 2016年の世界大会。
 自分が目標としてた選手に何度も負けて、それでも勝ちたくて、世界大会でその選手と闘い、8回目で勝てました。
 5年近くかかりましたが、頑張り続ければきっと勝てると身体で感じました。

高校卒業後

2人の共通点 門馬道場へ就職
内弟子への道

 私には何の相談もなく、三者面談に行った時に聞かされました。先生になりたいのは知っていましたが、自分で決めた潔さにはびっくりさせられると同時に不安な気持ちにもなりました。
 側で見てる事が辛くて、辞めたらいいのに…と口にした事もありましたが、それについては何も語らず、ひたすら稽古だけは続けた結果、小さな切っ掛けが大きな変化になりました。
 門馬道場だったから今が在ります。

(母)

 高校で就職活動をしていく中で、門馬道場の職員は「自分にしか出来ないこと」だと感じ、就職することを決めました。不安な部分もありましたが、幼い頃から「空手の先生」が夢だったので叶えることが出来てとても嬉しいです。

 進学も考えていましたが、悩んでいる息子に幾つかの選択肢も提案しました。
 生活の一部になっていた空手を職業にできると言う息子の環境をとても妬ましく思ってました。幸せ者ですし、仕事を楽しんで欲しいと思いました。

(母)

 進学も考え調べていましたが、どのような状況でも空手の指導をするということは確実に心に決めていました。
 親からは「進学でも職員でもいい。今は職員にもならず進学もせず空手だけをやる道でもいい」と言われ、1番やりたい空手を指導しながらタイトルを取る道を選びました。
 職員になり毎日が楽しいですし、子供達との時間が何よりの宝です。

 門馬道場に就職してまもなく、2人は門馬師範の海外指導に同行。オランダの地に向かい世界観を広めました。

祝・成人

 門馬道場の内弟子として稽古を積み重ね、職員として各行事の運営に関わりながら、成人を迎えました。

 門馬師範と初めてお酒を飲み、数日後は3日間の「冬合宿」へ。

 土曜日の指導に関わり、日曜日は宿舎をぬけて「成人式」へ出席。3日目の型大会には、模範演武者としてまた合宿会場にその姿がありました。

現在(2022年)

 現在はそれぞれが道場の責任者となり、先生として門下生と関わりながら、選手としての稽古にも汗を流しています。

選手としての目標

 師範や先輩方を憧れてきたように、今度は自分がみんなの目標・憧れの選手になり、入賞できるようにしたいです。
 全日本大会、世界大会で優勝し、自分の名前を知らない人はいないくらい有名になれるよう頑張ります。

先生としての目標

 それぞれの門下生に合った指導ができる先生になりたいです。
 門馬道場はキッズクラス(3才)〜健康クラス(80才)まで、様々な門下生の方がいます。もちろん性格も違えば個性も違います。そこを見極めて、一人一人に合った指導が出来るようになりたいです。

 子供達から憧れの存在になる事です。
 自分の姿を見て、僕も頑張ろうと思える子供達が増えてくれれば嬉しいです。
 そして師範が自分にそうだったように一人一人に真剣に向き合い、「あきらめない心」を伝えられる指導員になりたいです。

子ども達へのメッセージ

 自分は幼稚園の時に門馬道場に入門しました。
 大会や試合などで辛いことや負けて悔しいこともたくさんあり、挫けそうになった時もありました。
 でもそこであきらめずに稽古を続けてきたからこそ今があると思っています。
 今は結果が出なくても、続けれいればきっといい結果が出てきます。稽古を続け、あきらめない心で頑張りましょう!

 空手をやっていなかったら、今、自分はどんな大人になっているのだろうと、いつも考えます。挨拶、礼儀、強い心と体、空手が全てを成長させてくれました。
 皆さんも、辛い事や逃げ出したくなる事がたくさんあると思いますが、その辛さに打ち勝つ事によって立派に成長できると思います。
 心と体を鍛えるために、一緒に頑張りましょう!

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