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大山総裁の弟子として |
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門馬 智幸 42歳
会社役員
空手歴26年
H16年2月 四段取得 |
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昭和55年、18歳の時、極真会館福島県支部和気道場に入門し、当時はまだ師範代だった安斎師範に道着を頂き、初めて極真空手の道着に袖を通しました。嬉しくて、嬉しくて、その夜は、道着を着たまま寝たのを覚えています。もちろん白帯を締めて。寝苦しかったけれども、それでも根性で朝まで道着は脱ぎませんでした。と、言っても、単に空手着を着たのが嬉しかった訳ではありません。その時私は、既にフルコン他派の黒帯で空手着は着慣れていました。しかし、例え白帯でも極真の道着は憧れであり、そして何より、地上最強の極真空手の門下生になったと言う誇りが私の体中に漲りました。カラテマガジンやパワー空手の雑誌から、大山館長の写真を切り取り、額に入れて朝も夜もそれを見て、自分が大山館長の弟子である事に喜びを感じていました。
しかし、道場での稽古はとても辛く、特に自由組手は逃げ出したいくらい嫌でした。経験者の私は先輩方に可愛がられ?4人、5人と組手をさせられ、時には10人を数えることもありました。また、緑帯の時だったか、型が下手くそで審査を落とされ、へこんだ事もありました。それでも、何度も挫折しそうになりながら、継続出来たのは安斎師範を始め、先輩や仲間のお陰だと感謝しています。そして、昭和58年に須賀川道場の準指導員として新たな一歩を踏み出してからも、紆余曲折があり、安斎道場から離れた時期もありました。それでも、色々な極真道場の指導者の方々に恵まれ、遠方への出稽古や合宿参加等をしながら貪欲に極真空手を学び続け、どちらかと言えば飽きっぽい私でしたが、空手だけは継続していました。しかし、平成元年に独立し会社設立した頃から月に2〜3度しか稽古に出れなくなり、平成3年、会社設立から2年後、私の生活から空手はスッポリと抜けてしまいました。仕事に追われ、忙しい毎日でしたが、それなりに充実した日々。そんなある日、大山総裁が逝去。そして極真会館の分裂。外野から第三者的に見ていた私も胸を痛めました。平成8年、私は安斎道場に復帰しました。仲間と汗を流し、様々な活動をする喜び。そして私自身も二段、参段と昇段して行く中で、空手に対する情熱や、大山総裁の弟子であるという誇りが再び体中に漲りました。特に平成11年、千葉県での参段の昇段審査の連続組手は、脱水症状となり苦しかった分だけ達成感がありました。でも、この調子では次の昇段は厳しいかなと考えており、逆に言えば、まだまだ先の事と、特に心配もしていなかったのですが、過去3回の師範合宿に参加したご褒美か、はたまた先日の全日本階級別空手道選手権大会準優勝のご褒美か、光栄にも四段を允可されました。正直、40人組手も行わなかった事から、納得いく昇段とは言えず、嬉しい気持ちは全く無く、責任の重さのみを痛感するばかりですが、安斎師範初め、多くの方々の期待に応えられるよう、そして、大山総裁の弟子として恥ずかしくない、豊かな人間性を育むべく、今後共益々精進していく所存であります。 |
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押忍
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昇段レポート |
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門馬 功 38歳
会社員
空手歴8年3カ月
H17年2月 初段取得 |
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私が空手というものに初めて接したのは、小学校高学年の時でした。特に目的があった訳でもなく、なんとなく始めたような感じでした。大人の中に混じって稽古をし、最初はつらいことばかりで面白いと感じたことはなかったように思います。そんな中、同級生や後輩に声をかけ仲間が少しずつ出来てきた頃には、いつの間にか他人より蹴りが上手になりたいとか、力をつけたいとか稽古時間以外に自主的にトレーニングをするようになっていました。高校に入学してからは部活やバンドに夢中になり、空手の熱も冷め、そのまま15年近く空手からは離れ、門馬師範が矢吹で極真空手を発足すると聞いたときも、すぐに空手をしたいとは思いませんでした。むしろもうやる気はないというのが本心でした。ところがある日、昔一緒に稽古していた仲間に誘われ見学に行きました。見ていたら体が動きたいと言っているような、そんな感じを記憶しています。結局2,3回見学に行き、仲間の励ましもあり入門に至りました。運動を全くしていなかった訳でもなく、昔やっていたという驕りもあり、ある程度動ける自信はあったのですが・・・初回の稽古のあとの凄まじい筋肉痛は今でも忘れられません。それから今に至るまで、空手を続けてこれた背景には、道場の仲間たちの存在は非常に大きなものがあります。大会へ向けてのハードな稽古には、同じ目標に向かう仲間であり、ライバルであり、強くなるにはいろいろなことに真剣に立ち向かい、努力したものが勝つということを学びました。何とか今度は続けてみようと、やっとの思いで続けているうちに後輩が増え、教える立場になって改めて自分が今まで空手で何を学んできて、これから何を学ばなければならないのか考えるようになりました。もっと早く気づき、稽古にあたっていればまた違った自分があるだろうとは思いますが、そこに気づかせて頂いた師範始め道場生の方々へ感謝いたします。
昇段審査を受けようと決心してからも、門馬道場の黒帯を締めるということの重さに悩みました。稽古中師範から「黒帯をなめるなよ」の言葉がさらに重くのしかかってきて、審査までに何をすればよいのか考えましたが、今更ジタバタするよりも、今の自分の力を把握しようと思いました。(といってもそれなりに稽古しましたが・・)型の審査と十人組手を行い、足りないこと・今の自分の実力というものが痛いほど分かりました。審査の終わった日は、黒帯をしてよいのか考えこんでしまいましたが、これからが本当の武道空手の始まり。足りないものはこれから足せばいい、そう思えるようになってきました。今後もしっかりと修行し、自分を高めることによって、師範、道場生の方々へ恩返しして行きたいと思います。
最後になりましたが、今まで指導くださいました門馬師範、昇段審査のために遠くからきて頂いた小野寺師範始め、組手の相手をしてくださった岩手県小野寺道場の諸先輩方、大変ありがとうございました。 |
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押忍
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昇段レポート |
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岩崎 菜穂子 29歳
会社員
空手歴7年
H17年2月 初段取得 |
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役者になりたい−と夢見ていた10代。がむしゃらにもがくものの、先行きの無い不安にかられ、大きな壁を感じていました。そんな時に門馬智幸師範と出会いました。「空手は精神修行の場。自己鍛錬の道」。その言葉が強く胸に響き、見知らぬ武道の世界へと足を踏み入れたのです。当初は突きや蹴りの動作に戸惑いを受け、すぐにでも辞めたい気持ちでいっぱいでしたが、「自己鍛錬」そう言い聞かせて通い続けました。不思議なことに、3ヶ月もすると、道場は、居心地の良い空間に変わっていたのです。
7年という年月には様々なことがありました。県大会優勝、翌年一回戦敗退の挫折、全日本大会への挑戦、足の手術、3連覇、道場の責任者。そして今、私の腰には金線の刺繍が入った黒帯が締められています。『周囲に振り回されること無く、何色にも染まらない、自分の意志をしっかりと持った、筋金入りの人格者であること。』黒帯にはそのような意味が込められていると教わりました。また10人組手を終えたとき、岩手県本部の小野寺勝美師範より『黒帯自体に価値は無い。締める人間によって価値は決まる。価値ある黒帯になれ』と激励され、門馬師範からは『黒帯からが本当の修行の始まり。終点では無く出発点だということを忘れるな』と言葉を頂き、あらためて黒帯の重みや責任を感じました。
「黒帯に挑戦してみろ」、「押忍」。この短い会話の中には様々な思いが込められています。声を掛けていただいたことに喜びつつ、「私にはまだ早いです。10人組手怖いです。自信ありません」そんな気持ちと葛藤し、昇段審査の朝を迎えました。
想像通り、痛かったです。怖かったです。でもそれ以上に幸せでした。たくさんの仲間の声援に支えられ、ほんとうに幸せ者だと思いました。だからこそ、今度はその仲間たちに、空手を通して恩返しをしていきたいです。
10人組手の日を迎えるまで、支えてくださったたくさんの方々にこの場をお借りし、心から感謝の気持ちを伝えます。ありがとうございました。心機一転、初心に返った気持ち、忘れません。白帯から始まった空手人生は、皆様のお陰で色を変えてきました。私にできる恩返しの手段は、空手しかありません。今まで教えて頂いた事を、自己研鑽を積みながら一生懸命伝えていきたいです。
私の夢、それは「影響力のある人間」になること。その夢を叶えるために目指したのが「役者の道」でしたが、これからは「空手の道」の指導者としてその夢を叶えていきます。そのためにも、門馬師範をはじめ諸先生方、先輩方、そして家族や門下生の皆さん、これからも宜しくお願いします。泣き虫で、わがままで、頑固者の私ですが、とにかく精一杯、空手に関わり、武道教育を通して、自分にしかできない事をやり遂げていきたいです。 |
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押忍
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